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ビジネスラボ【eikichi】代表:水野永吉の正体とは?

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約5分

社員4名で年商12億の社長
前田健太が認めた天才

【プロフィール】

1988年8月9日(野球の日)誕生。広島県東広島市出身。AB型。

小学3年生で野球を始め中学時代には日本代表としてブラジルで開催された世界少年野球大会で優勝。世界制覇を達成する。同チームには前田健太がおりチームメイトとして日の丸を背負う経験をする。中学卒業と同時に神奈川県に上京し県内の古豪である慶應義塾高等学校に進学する。1年の夏よりメンバー入りを果たし投手として夏の全国高等野球選手権大会の予選に出場する。入部早々に活躍するも右肘の靭帯を断裂して高校で野球生活を終える。慶應義塾退学に進学すると体育会ゴルフ部に在籍し副主将を務める。ベストスコアは68S。大学3年21歳でプライベートオフィス永吉の屋号で個人事業主として起業。ゴルフコンペの送客支援事業を行う。22歳で大学の1学年上の先輩と株式会社ハッピーズを創業する。23歳で年商1億円を達成し専務取締役を務める。27歳で保有する全株式を売却して株式会社シクミーズを創業する。仕組創りのコンサルティング事業を軸に営業支援・採用支援事業を展開。これまで支援してきた先の売上高は600億円を突破。現在は、障害福祉事業を展開する株式会社コノヒカラの取締役を務める。

幼少期

母方はホテルサンルートのフランチャイズ事業、シェル石油のフランチャイズ事業に飲食店などを広島県竹原市で展開する経営者でした。また、父方は仏壇仏具店を営み韓国に生産工場を持つ経営者でした。そんな経営一家に生まれた私は、幼い頃より商売が間近にある環境に育ちました。

水野家の家訓は「商売人に学問は不要」。

勉強よりも一芸に秀でた何かの方が社会で遥かに役に立つという教えでした。その為、小さい頃に勉強をした経験は一切ありません。日が暮れるまで外で遊びました。

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世界少年野球大会優勝時の写真

小学3年生で野球と出会った私は、中学3年時に全国大会でベスト4の成績を残して日本代表に選手されました。ブラジルで開催された世界少年野球大会では投手として出場し世界制覇を達成しました。この時のチームメイトに大リーグで活躍する前田健太がいました。

この時、優勝の喜びよりも上には上がいるという現実に直面し広島県の野球名門校である広陵高校への進学希望を変更して文武両道の道を求めて神奈川県の古豪である慶應義塾高等学校への進学を決めます。プロ野球選手になるという夢の一方で自分の伸び代を考えた時、野球以外の可能性を広げるという選択肢を幼いながらに決めた事を記憶しています。

高校時代

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慶應義塾高等学校野球部時代の写真

高校に進学した私は1年夏よりベンチ入りを果たし、夏の全国高等学校野球選手権の県大会に投手として出場しました。滑り出し好調の高校野球生活だった私に悪夢が襲います。それは右肘靭帯断裂という致命傷でした。希望を失った私は一度は高校を退学しようとまで考えました。

そんな時に出会ったのがゴルフでした。リハビリの一貫で通っていたスポーツジムのゴルフレンジで始めたゴルフボールを打った時、次に夢中になれるものを見つけたと直感的に思いました。

そして大学進学と同時に名門慶應義塾体育会ゴルフ部に入部する事になります。

大学時代

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慶應義塾大学ゴルフ部時代の写真

好奇心だけで入部した体育会ゴルフ部という世界は私にとって未知の世界でした。在籍した部活にはご両親が財政界で活躍する有名な方々のご子息がゴロゴロといるような世界でした。本物のブルジョアが何かを実感した時間でした。

この世の中は必ずしも平等とは限りません。生まれ持った家柄による差は抗えない格差として人生に大きく影響してきます。

その差を覆すには自分の力で道を切り開くしかないと私は強く感じました。そして、大学3年21歳で企業を決意します。ゴルフ部に在籍していた事からゴルフコンペの送客支援事業を思いつきプライベートオフィス永吉という屋号で個人事業主として私はスタートしました。事業は思いの外うまくいきました。

そして、会社に就職する選択を捨て社会人1年目を迎えます。そんな時に不運が襲いました。記憶に新しい3.11の大震災です。世の中は自粛ムードに包まれゴルフ予約はほぼ0という状態が続きました。一気に地獄に落とされた私でした。そんな時に出会ったのが大学の1級先輩の芦川泰彰(現:株式会社ハッピーズ代表取締役)でした。出会ったその日に意気投合し株式会社ハッピーズを創業します。

この時生まれたサービスが交通事故に遭遇した時の相談窓口サービス「交通事故病院」です。思い起こせば、この時から私のゼロからイチを生み出す仕組創りを仕事とする基盤が出来たのだと思います。

株式会社ハッピーズ時代

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左 水野永吉 右 株式会社ハッピーズ代表 芦川泰彰

今の僕があるのは間違いなく株式会社ハッピーズの芦川泰彰社長のお陰だと思います。破天荒な私のスタイルを芦川社長は、「水野くんは面白いから飽きないね。暴れ回って欲しい」と行ってくれました。この言葉にどれだけ救われ勇気を持てたか知れません。

そんな青春のど真ん中を過ごした株式会社ハッピーズを27歳で独立する事になります。

こうして今の私が誕生するのです。

仕組創りのコンサルティング会社:株式会社シクミーズ

世の中がハッピーになるような仕組みを沢山作る。

企業に不足している課題をゼロから解決して営業支援、採用支援を行います。

これまでに支援した先の累計売上高は600億円を超えました。

その他、障害福祉サービスを展開する株式会社コノヒカラの取締役を務め福祉のチカラでフェアな社会創りに取り組んでいます。

2021年からは、SNSは次世代の履歴書と考えソーシャルブランディングやマーケティングも日々研究中です。

以上になりますが、水野永吉の紹介とさせていただきます。

About The Author

(株)シクミーズ/(株)コノヒカラ代表講師/起業家/フォロワー24万人TikToker水野永吉
野球日本代表|前田健太が認めた天才|慶応高校野球部|慶応大学ゴルフ部副主将|学生起業家|年商12億|株式会社シクミーズ代表|株式会社コノヒカラ取締役

Comments & Trackbacks

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  1. こんにちは、これはコメントです。
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